プロフィール
Webデザイナー/予備校講師
平成元年生まれ
男性
名古屋育ち
静岡県浜松市在住
好きな運動
ボルダリング/バレーボール
アルティメット/スノーボード
好きなこと
マンガ読む/アニメ視聴/美術鑑賞
/科学館にいく/ストリートダンス
略歴
名古屋学芸大学にてメディアインスタレーションアートを学ぶ。その後、大手予備校に就職し、理数の楽しさを伝えながら多くの受験生を導いた。講師職だけでなく、校舎運営、教材開発などの役割も勤める。
その傍ら、クリエイティブにより社会貢献をするべく独学でホームページ制作を学び、フリーランスWebクリエイター育成スクールSLashにて包括的な制作を学ぶ。
幼少期は愛知県の田舎で暮らしていました。小学校に片道一時間歩いて通ったのを覚えています。
家に帰ると田んぼで泥遊びか、竹藪でかくれんぼか、畑で転げ回るかのどれかでした。神社の木に秘密基地や橋の下にブランコを手作りしたこともありました。
畑仕事が好きで、様々な種類の野菜や果樹を育てました。アリやミミズ、カブトムシにカマキリ、オタマジャクシにマムシと多くの生き物にも興味をもちました。たくさんの命を葬り、たくさんの命に生かされた幼少期でした。
感受性や好奇心、発想力の根源はこの時 養われたと今でも思います。
中学生から高校生に上がる時、十五歳の僕には衝撃の事実を知らされました。両親が離婚をしていました。当時ひどく傷つき母親に罵声を浴びせ三週間ほどの家出をしました。
家に戻った後、「父さんの知らない場所で生活しよ。」その母親の誘いを断って一人暮らしをすることにした僕。キャリアウーマンで経済力もあった母親の言うことを聞いておけば、「また違った人生があったのかな。」なんて今でもたまに思います。
意地を張ったまま母とはその後、二十二歳になるまで会いませんでした。一度だけ十八歳の頃に駅のホームで偶然反対側にいた母がたくさんの人の注目を集めながら、僕の名前を何度も叫んでいました。それでも僕は無視を続けて、電車に乗りました。大粒の涙が止まらなかったのを覚えています。
大学ではインスタレーションメディアアートの世界に興味を持ちました。
アート分野と言われると「何をやっているのかが分からない。」「自己満足の世界だから受け入れられ無い。」などと思われたことはありませんか。実際に僕もギャラリーで展示会などをしている時にはそのような意見をよく言われました。
ただ、インスタレーションにおいてその作品を説明することは不可能だと思っています。テキストで表現できるものならば、それで表現が完結するためです。
体験しないと感じられないものがあるから作品で表現するのです。「この作品、なんか良いよね。」そういった感受性を大事にしていきたいです。
友人のTと共に、名古屋から京都、東京、四国・九州、北海道、沖縄には自転車を空輸して旅をしました。漕がなきゃ前に進まない、坂道ほどしんどい思いをする。「そんなの車や電車の方が楽だし速い、疲れるだけじゃん。」よく言われることです。でもだからこそあえて自転車で旅をするのです。
遠すぎる目標も、しっかりと積み上げていけば確かに近づけること。
新幹線で通過していたら絶対に出会わない景色や街に出会うこと。
野外での焚き火・人家の灯・深夜のコンビニ、どんな光でも心が落ち着くこと。
その土地の人柄や、本来の人が持つ優 しさに触れられること。
Tというかけがえの無い友人。
楽な道より険しい道をあえて行きたい。
受験生によく話すことです。合否に関わらず涙が流れる人になれと。
【合格して涙が出るほど嬉しい】 嬉し泣きなんてものは余程の努力が報われた瞬間にしか流れないもの。自分を誇りに思えばいい。世の中には一度だってそれを経験しない人だっているのだから。
【不合格になって涙が出るほど悔しい】 そんな悔しい思いをした人がそこで終わるのだろうか。否、次は絶対報われてやるんだと立ち上がり、今まで以上に努力を重ねることだろう。だから不合格でも成功だ。
もちろんプロとして結果を求めることは一番重要。ただ受験が成功したかどうかは合否では決まらないと考えています。